第2回囲碁マンガ原作 [囲碁]
第2回囲碁マンガ原作に応募した。
1月20日当日消印有効で、20日の昼休みにエクスパック500で提出。
フィクションであるが、まあ私小説みたいなもの。プーに読ませたら辛口コメントだったが、私的には、かなり自信作で
大賞100万円とったら何に使おうか今から妄想している。
ヒカルの碁 [囲碁]
囲碁色々 [囲碁]
四天王ニックネーム募集 [囲碁]
ソネ風呂がなんとかつながるようになってきた。&仕事が色々ありつつも一段落したので久々更新。しかも囲碁ネタ。
週刊碁で2週間ぐらい前に読んで、日本棋院では、今四天王(山下敬吾棋聖、張栩名人、高尾紳路本因坊、羽根直樹九段)のニックネームを募集しているらしい。http://www.nihonkiin.or.jp/
投了について [囲碁]
1ヶ月以上前に、某HPで議論になったことがあるテーマに、「プロ棋士の投了を認めるべきか?」というのがあった。当時からあっためていた見解を述べたい。(奥さんにHP荒らしと批判されるので自粛してました。こういうことを自由に長文で書きたい、と思ったのがブログをはじめた要因のひとつ)
「認められない」と主張した人の理由は以下の通りであると私は理解している。
①プロ棋士は金をもらって対局しているのに、観戦するファンの視点に立つべき。特に海外で行なわれるタイトル戦は、海外のファンに目をむけてもらう、という趣旨に反している。
②棋譜が汚れないうちに投了するのが美学である,なんていう意識こそが最近の日本のプロが韓国などに遅れをとっている大きな原因である。
※もしかしたら他に理由があるかもしれないが私が認識したのは以上2つ。
この意見をみてから、投了を認めても認めなくてもどっちでもいいや派だった私は、投了容認派であることを自覚した。以下、その根拠。
①結果よりもプロセス
プロなんだから、対局料に見合った魅せる碁を!というのは正論だが、だからと言って投了禁止は筋が違う気がする。投了したことが問題ではなくて、投了するような碁を打ったことを問題にすべきで、ポッキリ逝ってしまったものをファンの為に、とか無駄に頑張っても少なくとも私はファンとして喜ばない。
②海外タイトル戦開催の意義?
海外のファンへの対応について。海外のタイトル戦は、単純にA新聞が何年記念でいったからY新聞もとか、関係者がタイトル戦にかこつけて海外にいきたいだけで、「海外のファンに目をむけてもらう」というのは名目だけのような気がする。(あくまで、私の個人的見解)また、海外のファンに目を向けてもらうのは、ネットの時代なんだし、もっと色々な情報をWEBで他国語で発信するとかの方が意味があるとおもう。
③タイトル戦における戦略
七番勝負等の番碁において、プロは「ファンに魅せる碁」だけでなく、「勝利」という結果も求められる。野球でいう「捨てゲーム」と同じ考え方で「投了」という戦略オプションが会ってもいいと考える。7番勝負の1局目であれば,敢えて手の内のカードを全て晒したくないから投了、というのもあり。またずるずる打ち続けて相手に会心の勝利を取られるぐらいなら、という心理的駆け引きがあったかもしてない。
④投了の美学
投了の美学はあっていい。棋道というぐらいで、道がつくのだから、そういう精神的なものも重要と思う。ルールさえ守れば何してもいい、ではなくて「神の一手」も追求していく姿勢は必要。その追求する姿勢が中途半端なのが問題なのであって、投了の美学や日本囲碁界の価値観自体は尊重すべき。むしろ、その神秘性の方が海外ファンには受けそうに思う。